笠間こうじのブログ

2013-03-25釜石応援プロジェクト

先週の週末、綾瀬市社会福祉協議会主催の「釜石応援プロジェクト」に参加致しました。

今回は私のほかに2名の綾瀬青年会議所メンバーと参加しました。

今年度は4回開催され今年度は最後の開催です。私は昨年の9月参加以来2回目の参加となりました。


今回も炊き出し班と、津波の被害を受けた海岸の清掃班に分かれました。

総勢40名弱の参加者です。

私は炊き出し班で活動、釜石市甲子町の仮設住宅にお邪魔して、綾瀬市食材を活用した、特性メニュー「シチューうどん」を作りました

併せて高座豚手作りハムのご協賛によるソーセージ提供しました。

多くの方に喜んで頂けたと思います

準備を含めて朝10時から開始し午後2時には炊き出しと片づけ終了

その後、釜石市社会福祉協議会事務局長のご案内にて「青空教室」と題して、被害状況の視察と説明を頂きました。



今回は釜石市鵜住居地区を訪れました。この地区大槌湾に面し、釜石もっとも被害の大きかった所です。

写真場所はもともと海水浴場として砂浜が広がっていた地域しかし今は津波で流され更に、地盤沈下により砂浜がすべてなくなっています

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その後市街地の中心へ、事務局長が当時の状況を詳しく教えてくれます

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みんながたっている場所は実は津波前には駅があった所です。しか線路も何もかも流され、わずかにその面影を残すのみです。

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市街地跡には、鵜住居地区防災センターの跡地があります。ここで悲劇が起きました。

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過去2年間の防災訓練が行われ、津波避難所として指定されていました。

しかしここは本来の津波避難所ではありませんでした。

本来の避難所は山沿いの神社しか高齢者や体の不自由な人に配慮して、市街地にあるこの防災センター避難所として訓練を行いました。


3月11日、多くの市民がここに逃げれば安全だと信じ避難してきました。避難訓練でもここに逃げてきましたから。


しか津波は2階の天井まで達し、津波が引いた後に、69名のご遺体発見されました。しかし流されたりして、ご遺体が周辺で発見されたり、ご遺体発見されなくても、ご遺族の証言などの調査により、ここに逃げた事によって、250名近い方がお亡くなりになったと推定されています


この写真は2階で撮影しました。天井直下津波の跡が残っています

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津波に対する怒りとこのような被害を二度と起こしてはいけないと痛切に感じました。

事務局長お話では被災地以外の国民の間ではこの震災の風化が始まっているのではないか心配されていました。

まだまだ被災地復興は遅々として進んでおりません。

被災地以外の私たちも出来る事がたくさんあると思います

被災地の皆様の事を決して忘れず、日本国民の総力でこの震災を乗り越えなければならないと思いました。